沖縄三線の店【佐々忠】。三線の販売、修理、メンテナンス、三線に関するご相談。沖縄文化教室大阪三線クラブも主催。

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仲嶺盛文さんが沖縄タイムスとNHKで紹介されました2003.01.28

佐々忠の高級三線を製作されている仲嶺盛文さんが、沖縄タイムスで紹介されました。
また、NHKテレビでも紹介されました。

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(記事全文)

浦添市伊祖の仲嶺三味線店。十畳ばかりの工房には、完成した三線に漆塗りを終えた棹(さお)、蛇皮を張りかけの胴(チーガ)が所狭しと並べられている。

工房の一角で一人黙々と三線を作り続けているのは店主の仲嶺盛文さん(55)。棹の原木をのみやすりで削っては、線をためつすがめつ確かめ、そしてまた削る。細かい作業を繰り返し、丁寧に形を整えていく。

三線の中で最も重要な部分といわれているのが棹。「○○開鐘(けーじょー)」と重宝される名器も、三線そのものではなく、棹だけをさす。「いい棹じゃないといい音が出ない」。仲嶺さんも棹作りに最も神経を使っているという。

真壁型、与那城型、知念大工型…いくつもある棹の型。棹の丸みや、弦が触れる野のこう配、全体的なバランスと、型それぞれに特徴があり、「仕上げられるようになるまでにはかなりの熟練と感性が必要」。

仲嶺さんが三線つくりを始めたのは高校生の時。アルバイト代を稼ごうと、同じく三線を作っていた兄盛英さん(故人)の工房に通うようになったのがきっかけだった。

最初の四年間は、心と呼ばれる、チーガの中に隠れる部分ばかりを削り、道具の使い方、削り方の基本を学んだ。「何度も手を切って、手のひらもこんなに膨れたよ」と武骨な手を広げる。

「心ができるようになると、後は『技術を盗みなさい』の世界」。師匠でもある兄の手を見て、地道に修業を積んだ。まねても仕上がりが微妙に違い、試行錯誤を繰り返す日々が続いた。「いいものを作ってみるか」。兄から技術を認めてもらうまでに、十年以上たっていた。三十四歳で独立し、現在の工房を構えた。

初心者向けのものから、ベテランが使う高価なオーダーメイドまで、一ヶ月に十四、五本制作する。自らも古典音楽を学ぶ仲嶺さんの店には実演家仲間が頻繁に訪れ、三線を注文したり、修理を依頼する。「盛文にできなかったらだれにもできない」。仲間からの信頼が誇りだ。

「沖縄の伝統を守るという大義名分よりも、自分が作った三線を人が大事にして、弾いてくれることにやりがいを感じる。公演で、いい音が出ているのを聴くと、何ともいえないほどうれしくなる」

(沖縄タイムス)

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